第五話 東京での日々(東京)

25才の初夏、かなり遠回りしてやっと上京した。25才ともなるとプロで活躍している人も少なくはないのに私は0からのスタートだった。

しかし、トコさんが「出て来いよ! 」と言ってくれた事はいつも誇りに思う。私の中のどこかに"いいもの"があると言ってくれた最高に嬉しい師匠の言葉。

トコさんの奥さん、容子ママがジャズクラブのオーナーで、田舎者の私は後々「スゴイ所に来てしまった」と分かるわけです。

そこは「六本木 alfie(kaoriyamada.comを離れます)」…多くのジャズメンが出演したいと思っている老舗のジャズクラブなのだ。

ママは最初「女の子は役に立たないわよーー」といっていたらしいが私の顔を見るなり一言「うん、あんたなら大丈夫!」と言った(笑)。そしてラッキーな事にalfieで働きながらライブを観て聴いて、レコードをかけてという日々を過ごせるようになった。約3年間働かせてもらったが、その間にはもう言い表せないほどの事を学んだ。

その上、トコさんのボーヤをやる事ができた! 宝物が目の前にゴロゴロ転がっている感覚だった。盗めるモノは全て盗みたいと思うほど、トコさんのドラミングは勿論、考え方・音楽への愛情など日野元彦という人間に魅了された。一流ドラマーなのに普通のパチンコおやじだったり、ゴルフ少年だったり、トコさんにはいつも人が寄って来た。

そんなトコさんと容子ママに出会って私の人生はビシーッと方向づけられました。スロースターターな私もやっと人生に目覚めたというか…。一生感謝しつづけるでしょう。

トコさんの実兄でトランペッターの日野皓正さんにも個人レッスンをしてもらえて、夢の様な事が次々と起こる。ベテランとの共演ができるのも、alfie=容子ママ=トコさんのお陰である。

兄弟子の力武さんがボーヤを卒業して、いよいよ私が専属ボーヤだぁー! となって間もなく、トコさんが膵臓癌の末期である事がわかった。1999年1月のことだった。

詳しい事は書かないが、トコさんは病院から何度かステージに向かいドラムを叩いた。以前と変わらないまま幸せ一杯の表情で叩いた。

涙は一粒も見せなかった。逆にトコさん、ママ、力武さん、私で過ごした病室生活は楽しかったとも言える。(理解できない方もいるでしょうが…)

トコさんがそうさせたのだ。私には信じられないパワーだった。

亡くなる3日前ほどに、あるレストランで私とケーキの奪い合いをして(トコさんも私も甘い物好きで)大笑いをしたのを忘れられないでいる。

あれから何かあるたび「トコさんに相談したいナァ、でもイナイ…」と淋しい瞬間はあるけれど、いつも心の中にトコさんがズシンッ! といて、言われる事もわかっちゃうような気がする。だから悲しんだりはしない。天国に向かって「これでどうだーーーっ!!!!!」って叩き続けます。


そして、都内のジャズクラブを中心に、千葉・埼玉・神奈川・静岡などから関西方面まで足をのばし、実にいろんなところで、たくさんのジャズメンたちと競演しつつ、じょじょに経験と自信をつけていったように思えます。

いつもいつも、ハッピーな気分で帰宅できる…って事は決してなかったナァ。振り返って考えるとほとんどが自分のヘタクソさに落ち込んでたかな。

でも、3日以上は引きずらない(トコさんゆずり、笑)で、初心に返り「ドラムが叩ける場があるなんて、私の夢がひとつ叶ってるやんか!? 落ち込むところじゃないな」と考え直して毎日過ごしてました。

案外、ミュージシャンという仕事は演奏の前まで独りでいる事が少なくなく、ネガティヴに考え始めると危険かもですね。

かれこれ上京して9年間、総合的に言うと充実した日々でした。また戻れる場所がある、人たちがいる。人生の宝物をたくさん得られた場所と日々。

そうしていったん東京を去るわけですが、詳しくは次のページをお読み下さいませ!

See you again, Tokyo.

  1. 第一話 生い立ち(香川・高松)
  2. 第二話 ドラム講師時代(広島・福山)
  3. 第三話 立て直しの時(香川・高松)
  4. 第四話 トコさんとの出会い(香川・高松)
  5. 第五話 東京での日々(東京)
  6. 第六話 さらなる野望を胸に(香川・高松)
  7. 第七話 本場・ニューヨークへ
  8. おわりに…

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