第一話 生い立ち(香川・高松)

197?年12月23日四国は香川県高松市太田上町にて、山田太郎・俊子の長女として誕生。(3200g、O型、太りすぎで手足が曲がらない、髪の毛はナシ)

年子の兄(健介)と4つ下の妹(千春)をもつ。家族全員O型のハッピー家族。万歳! \(^0^)/山田家!!!!!

4才頃、従姉妹の影響でクラシックピアノを習い始める。(20才まで続く)

「高熱で倒れた時も、香織の手はピアノ弾いとったよ」と両親が言っていた…。(しかし練習が大嫌いやったのをよう覚えとる)

ピアノの太田瀞子先生は私にとって初めての師匠。前向きで活発な生き方を教えてくれた、素敵な女性。

ずーっと一緒に学んだ親友の(キヨちゃん)は一生の親友であり、彼女は今もなおピアノを弾いている。

小学校1、2年まで母親のスカートを握ってはなさない「超」甘えん坊でイジメられっ子だった私が、兄の影響で髪をショートカットにし、サッカーを始めてから急激に活発で元気なイジメっ子、ガキ大将に変身した。(このサッカーも20才まで続けた)

しばらくサッカーにハマり全国大会を目指し日夜練習、練習!(ピアノは休止しとった)

その頃同時にドラムに興味を持ち、テレビを見て「ドラムが一番カッコええわー!!!」なんて思いながら、スティックだけ1セット買い、独学で家の家具をドラムセットに例えて叩きまくっていた。

そんな娘を見て母親が「家を壊されるぐらいやったら練習台買ってあげるわ。」と練習台セットをプレゼントしてくれた。そして私はもっともっと練習をするようになった。「イマ、ワタシハ、ステージノウエデ、スポットライトヲアビテ、タタイテルゼーィ!! ア゛ーーーー!!!!」みたいなノリで…。

こんな感じで私の思春期はボーイフレンドもいない・興味もない、ドラムとサッカーの日々がひたすら続くのです(笑)。

高校生の時かな? 結局サッカー全国大会でベスト8までいった。

高校3年生になり身の振り方を考えるようになった頃、サッカーには体力の限界を感じていたし、その頃洋楽に興味を持ち始めていて「一生続けられるのは音楽かナァ…」と思うようになっていた。世の中はバンドブーム!(イカ天とか…)

私はその頃流行っていた音楽専門学校へ進みたかったが…なにせ三人兄妹。兄は大阪に出たし、2年続けて外に出すのは両親も厳しかっただろう。

でも音楽をやりたかった私は仕方なく(と、いうと大学に失礼やね?)地元の短大でピアノ科に入り、もう一度音楽の基礎を学ぶ事にした。(打楽器科はまだ無かった)

それでもドラムを叩きたければ2年後に自分の力でこの街から出ていこうと決めていた。確かにもっとドラム叩きたいーーーー! という欲求はあったが、2年間学んだ事は今も役に立っていて無駄ではなかった。

両親に感謝しています。

  1. 第一話 生い立ち(香川・高松)
  2. 第二話 ドラム講師時代(広島・福山)
  3. 第三話 立て直しの時(香川・高松)
  4. 第四話 トコさんとの出会い(香川・高松)
  5. 第五話 東京での日々(東京)
  6. 第六話 さらなる野望を胸に(香川・高松)
  7. 第七話 本場・ニューヨークへ
  8. おわりに…

このページの本文冒頭へ

このページをご自分やお友達のパソコン・携帯電話などに送りましょう!